悟りの窓 2013 8 25

 京都の禅宗の寺院「源光庵(げんこうあん)」には、
「悟りの窓」と「迷いの窓」があります。
 悟りの窓は、丸い窓、
迷いの窓は、四角い窓となっています。
 窓の形から、その意味がわかると思います。
丸い形は、円満、偏りのない心などを表現しています。
四角い窓は、まだ円満に至らない、とがった心かもしれません。
 もちろん、仏教的には、
角が4つあるということは、
釈迦が説いた「四つの苦しみ(四苦)」、
つまり生老病死の四苦を、
迷いの窓は表現しているかもしれません。
 四つの苦しみがなくなれば、
丸い心となる、つまり丸い窓となるのでしょう。
 ただし、この寺院は、禅宗の寺院なので、
窓を通して何が見えるのか、
つまり、心の窓を通して何が見えるのかを問いかけているのかもしれません。

京都にて三学を聞く 2012 5 20

京都にて、高僧が聞く。
「三学とは」
「戒、定、慧」
「知識ではない。どう実践するか」
「自らルールを決めて、それを守る。
平静心を保ち、思索する。
かくて知識は智慧となる」
高僧は、音もなく、消えた。
 三学とは、仏教において行なうべき、
最も大切な修行方法と聞いたことがあります。
(以上の文章は、2003年に書いたことを編集したものです)
 さて、私にとって、京都とは、
なぜか禅宗のイメージがあります。
そういうインスピレーションを受けるのです。
 禅の言葉に、「そっ啄同時」(そったくどうじ)という言葉があります。
漢字では、「そつ」は、へんが「口」で、つくりが「卒」となります。
 卵の殻を雛が内側からつつくことを「そつ」と言います。
同時に、親鳥が外側から殻をつつく「啄」によって、
卵の殻が破れて、中から雛が出てくるのです。
 この言葉については、私は、こう考えています。
学問(知識)だけでは、道は開かれず、
インスピレーションだけでは、道に迷う。
学問とインスピレーションによって、道は開ける。





















































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